情けは人の為ならず | 博善グループ
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仏教が語源のことば

 

日本のことわざや慣用句には、

仏教が語源・由来になっているものが多くあります。

 

「冥利に尽きる」

 

冥利(みょうり)とは、仏教において「良い行いの報いとして得た幸福」という意味があります。

「冥利に尽きる(みょうりにつきる)」とは、

その立場にいる者として、これ以上の幸せはないと思うことです。

例えば、

「生徒が志望校に合格して、教師として冥利に尽きる」というように使います。

 

 

 

「渡りに船」

 

仏の教えを記した書物である法華経(ほけきょう)の

薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)に、

「渡に船を得たるが如く」という一説が出てきます。

「渡りに船(わたりにふね)」とは、

川を渡ろうとする時に、渡し場に都合よく船がいることで、

必要なものや望ましい条件が偶然具合よくそろうたとえのことです。

例えば、

「仕事を探していたところ、友人の会社で働かないかと声を掛けられて、まさに渡りに船だった。」

というように使います。

 

 

「情けは人の為ならず」

 

仏教の教えに、善い行いをすれば善い報いがあり、

悪い行いをすれば悪い報いがあるという意味の、

「因果応報(いんがほおうほう)」という言葉があります。

この発想を根底としている言葉が「情けは人の為ならず(なさけはひとのためならず)」です。

人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、

やがてはよい報いとなって自分にもどってくる、という意味で使われます。

例えば、

「知らない人が困っていたので、情けは人の為ならずと思い、勇気を出して声を掛けてみた」

というように使います。

 

「弘法にも筆の誤り」

 

弘法大師(空海・くうかい)は真言宗の開祖です。

「弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)」とは、

書道の名人といわれる、弘法大使(こうぼうだいし)でも、

ときには書き誤ることがあるということから、

どんなに技芸に優れた人でも、失敗もあるというたとえです。

例えば、

「料理人の母が砂糖と塩を間違えるなんて、弘法にも筆の誤りだ」

というように使います。

 

 

 

「石の上にも三年」

 

インド仏教では、

長期間にわたり同じ場所でひたすら座禅(ざぜん)を組んだり、

お経を唱え続けるという修行があります。

また、中国禅宗の開祖である達磨大師(だるまだいし)には、

悟りを開くために9年間という長い時間、座禅したという逸話もあります。

「石の上にも三年(いしのうえにもさんねん)」とは、

「石の上にじっと3年も座っていれば、石も暖まる」ということから、

どんなに辛くてもがまん強く辛抱すれば必ず成功することのたとえです。

例えば、

「なかなか達成できないけれど、 石の上にも三年というように諦めずに努力する」

というように使います。

 

 

 

「お陰様」

 

仏様の助けやご加護を表す「お陰」。

仏様や他人様のお陰で生かされていることを自覚し、感謝するという意味から

「お陰様(おかげさま)」という言葉があります。

相手に助けてもらったり、親切にしてもらったことに感謝する表現です。

例えば、

「お陰様で、無事に試験に合格しました。サポートいただきありがとうございました」

というように使います。

 

 

 

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